〜グアンタナモ米軍基地〜

僕達が見た、正義の真実。

僕達が見た、正義の真実。〜グアンタナモ米軍基地〜

初出はGENERATION TIMES vol.8(2007年4月発行)に掲載。イラク戦争の際に話題になったアメリカ兵による虐待報道。収容所の捕虜たちを、家畜のように扱う写真が世界に衝撃を与えました。その後、遠くキューバのグアンタナモに収容所が設置されていることが発覚。これは、その実態をリアルに再現した映画『グアンタナモ、僕達が見た真実』でモデルになったパキスタン系イギリス人青年たちを取材したものです。


「対テロ戦争」の名のもとに、捕らえられた無実の人たち。イラクのアブグレイブ刑務所を始め、世界中の収容所での拷問と虐待。日本人には馴染みの薄い『グアンタナモ米軍基地』でも、その劣悪な状況は日々繰り返されている。

日本人にとってあまりに現実離れしたこれらの事実。しかし、そこには私たちと全く変わらぬ普通の人たちの姿がある。

取材:伊藤剛・吉村未来 文:吉村未来 写真:竹内裕二


「グアンタナモ」という言葉を聞いて、それがキューバの地名であり、そこに「対テロ戦争」の容疑者を収容する施設があることを知る日本人は少ないだろう。これまで日本ではほとんど報道されることはなかった。「アメリカの法律も国際法も適用されない」という極めて特殊な場所。ゆえに、想像を絶する劣悪な拷問や虐待が行われている。しかも、無実な可能性を含む人たちが、だ。

その事実を、ドキュメンタリーさながらリアルに再現した映画『グアンタナモ、僕達が見た真実』が、2007年1月から日本でも公開された。本作は、アルカイダと疑われた上に、2年以上もグアンタナモで拷問や虐待を受けたパキスタン系イギリス人青年3人の体験談をもとに作られている。

その青年のうちの2人、ローヘル・アフマドさんとシャフィク・レスルさんが2007年初めに来日し、彼らに会うことができた。気さくな笑顔で握手を求め、日本のお菓子を珍しがってほお張る彼らは、本当に無邪気な青年だった。


事の始まりは、2001年10月。古くからの友人が祖国パキスタンで結婚式を挙げることになり、ローヘルさんとシャフィクさんは、長期休暇をとってその地を訪れた。挙式までの数日をゆったりと観光していたなか、宿泊地のモスクで「いま隣国のアフガニスタンで人道支援が求められている」という話を聞く。時は、9・11直後。アメリカによる空爆が囁かれていた時期だ。「自分たちにも何かできるかもしれない」というボランティア精神と、「一体どんな状況なのか見たい」という好奇心が手伝って、バスでアフガニスタンへと向かった。

しかしその翌日、米・英軍による本格的な空爆が始まった。人道支援者も兵士も関係なく、ただそこにいた人たちすべてが無条件にタリバン兵やアルカイダと見なされ、彼らも強制的に拘束されてしまう。1カ月近くほとんど水も食糧も与えられず、彼らは飢えに耐えながら、ただひたすら釈放を願うしかなかった。

「アフガニスタンにいる間は、数週間で釈放されるんじゃないかという気持ちでした。事情を説明してちゃんと調べてもらえば分かってもらえるものだと。それがすべて変わったのがグアンタナモに着いてからです。起訴されて裁判に掛けられれば無実を証明できるのに、その機会すら与えられず、希望を失い始めました」


拘束から約2カ月後の2002年1月。彼らは頭に袋をかぶせられ、手錠と足かせを付けられた状態で、キューバのグアンタナモに移送される。そして、炎天下の檻に入れられ、両手足を縛られたまま、24時間ずっと砂利の上で正座を強いられたり、米兵からの脅しや暴力によって夜も眠れない日が続く。法的な裁判さえ受けさせてもらえず、弁護士もつかない。釈明の余地がまったくない状態で、拷問と虐待を繰り返された。外部とは断絶され、家族とも一切連絡を取れない。「このまま否認し続けたら家族を脅かす」と、精神的苦痛まで味わわされる。

母国イギリスの関係者と名乗る人物が訪れ、尋問の機会を与えられたこともあった。しかし、希望を抱いて必死で無実を主張した彼らの発言は、すべて否定された。状況がさらに悪化したのは2003年5月頃。FBIやCIAがアルカイダの集会を映したビデオを見せられ、別人を指して「ここにお前がいる」とアルカイダ・メンバーであることを強要された。それを否認すると、さらに激しい拷問が始まり、5時間以上もの間しゃがんだ姿勢で手足を床に繋がれ、爆音の中でフラッシュライトを浴びせ続けられた。

拷問に耐え兼ねた収容者の自殺も後を絶たない。誰に何を言っても無駄だと諦めそうになり、心身ともに痛めつけられながら、2年以上の歳月を苦しみ続けた。その苦しみは、想像してもしきれるものではない。釈放を言い渡された時の2人は、喜びよりも怒りの気持ちが強く湧き起こっていた。


2人が釈放されてから3年経った今(2007年当時)もなお、グアンタナモには「対テロ戦争」の名目のもと、人権侵害を受け続けている人々が約400人収容されている。

2006年10月、ブッシュ政権から発行された「特別軍事法廷処置法」は、テロリストには通常の司法裁判は適用しないという内容で、国際人権法に違反すると批判を浴びている。グアンタナモの収容施設の廃止活動を続けるアムネスティ・インターナショナルは「グアンタナモの収容者は不法に収容されており、国際基準に沿った裁判を行うか、あるいは、さらなる人権侵害にさらされることがないよう完全な保護の下で釈放すべきである」と強く求めているが、ブッシュ政権は依然として拷問や虐待の存在を否定した上で、特別軍事法廷処置法の必要性を唱え続けている。

拘束当時ローヘルさんは19歳、シャフィクさんは23歳。生まれた時からイギリスに住む移民二世の2人は、パーティーやクラブが大好きで、『エミネム』『2pac』などアメリカのラップやダンス・ミュージックを好んで聴く今どきの若者だった。国籍も精神もイギリス人同様。ただ違うのは、宗教と外見だけだ。「どうして耐えられたのか?」との質問にも、特別な気負いはない。

「宗教や信念が支えになったことや仲間がいたことも大きい。でもそれ以上に、“人間の本能”だと思う。あんな環境下に置かれても、人間はうまく順応して生きていこうとする力があるんだと知った」

彼らは決して特殊な人たちではない。私たちと同じように豊かな国で生まれ育ち、それまで宗教心や反米感情をむき出しにしたこともなかった。しかし、10代後半から20代前半という将来にとって大切な時期の2年間、無実の罪を着せられた彼らの貴重な時間は、もう取り戻すことはできない。

「グアンタナモでの体験が、人生観や世界観、世の中の見方を完全に変えた。ニュースを見ても、そのままを信じることはなく、非常に懐疑的に受け止めるようになってしまった。でも生活そのものはそれほど変わってない。結婚をして家庭の責任が増えたっていう誰にでも起こる普通の変化をしたくらいです」

彼らは今、収容所に残された人たちのためにも「この事実を多くの人に知ってもらいたい」と世界中を駆け回っている。悲痛な体験を語ったあとに、「毎日のように奥さんから“いつ帰ってくるの?”って電話があるんだ」と、はにかんだ笑顔が印象的だった。

どこにでもいる普通の青年が、突如、人権侵害されることの恐ろしさを痛感せずにはいられない。

参考資料

映画『グアンタナモ、僕達が見た真実
監督:マイケル・ウィンターボトム、マット・ホワイトクロス