〜「悪の枢軸」と呼ばれた国〜

どうせなら、
その笑みに騙されたい。

どうせなら、その笑みに騙されたい。

初出はGENERATION TIMES(vol.6)に掲載。イラク戦争の大義が曖昧なまま、隣国イランを「悪の枢軸」と名指しで批判し始めていた2006年5月に、かつて旅をしたことがあったイランにもう一度行って、改めて現地の様子を伝えておきたいと取材を試みたルポ企画です。


「悪の枢軸」。2001年9月11日、NYテロが起きてからアメリカのブッシュ大統領が、民主化が遅れている特定の国を指して使い始めた表現だ。イラク、北朝鮮、そしてイラン。アメリカは、イラクに対して国連が反対するなか、強行に戦争を始めた。それから3年。大量破壊兵器は見つからず、混乱した国内では内戦が多発し、状況は悪化する一方だ。

そして、2006年。「イランは核兵器を作るためにウラン濃縮開発を行っている。いかなる手段をとっても阻止する」とアメリカは明言し、対決姿勢を崩さない。どこか、3年前のイラク戦争の状況と似ている気がする。

「自国を守るためには、何者にも屈しない」。テレビからは、イラン人のこんな言葉が流れていた。テロをも辞さない。そんなイメージだった...。

文:伊藤剛 写真:竹内裕二 
ポラロイド写真:GENERATION TIMES編集部 取材協力:イラン航空


「悪の枢軸」。この言葉が日常的にテレビのニュースから流れる中、2006年5月、イランの首都テヘランの空港に降り立った。いつアメリカから攻撃されてもおかしくない状況で、イラン国内はどうなっているのか。少し緊張していた。到着は深夜で、まだ街は暗い。

翌朝、ホテルの窓から見えたのは、どこか見慣れた風景だった。富士山ほどの高さを誇るアルボルズ山脈が、高層ビルの立ち並ぶ街を見下ろしている。街は、人々で溢れ返っていて、数年前にできたばかりの地下鉄は大理石で輝き、道はところ狭しと車の大渋滞。公園には、動物園を楽しむ家族、バレーボールをやっている若者。カップルは公然と手を繋ぎ、黒いベールで身を包む女性がいる一方で、前髪を金色に染め、ピンクや水色などのカラフルなスカーフをちょこんと頭に乗せ、それに合わせた短めのコートをまとっただけの女性もいる。前髪をどれくらい見せるかが、若い女性のオシャレ度を表すらしい。まるで大学の広大なキャンパスのように、のんびりと平和に時が流れている。


「ウラン濃縮開発」。この問題は2002年8月、イランの反体制派が暴露したことで明らかになった。そもそも国際的には『核拡散防止条約』(以下、NPT)というものがある。第二次世界大戦後、核兵器の開発競争を始めた大国同士が、「これ以上他の国には持たせないようにしよう」と、アメリカ、ソ連、イギリス、フランス、中国以外の核開発や所持を禁止した国際条約を締結した(※1)。イランも日本もこの条約に加盟している。

しかし、「核兵器は作らないが、原子力発電所は作りたい」という国が当然のこととして出てきた。原子力の「平和利用」である。そこで、平和利用を越えた開発が行われていないかの査察を定期的に受けることを条件に、それが可能とされた。この査察をする組織が『国際原子力機関』(以下、IAEA)と呼ばれるものだ。確かに、イランにはこの査察を受け入れずに開発をしていた時期があるが、問題が発覚してからは基本的に査察を受け入れ、IAEA側も「核開発の疑惑はない」と報告書をまとめている。しかし、欧米側は決して認めない。

「石油を持つ国が原子力を作るなんて、核開発が目的に決まっている」

核を持つ国が、持たぬ国にそう言い続けている。IAEAの存在意義は、監視を受け入れればウラン濃縮の平和利用する権利がどの国にも認められることにある。イランの言い分は、少なくとも理屈としては通っている。

「いつかイランの石油も必ずなくなります。中国、インド、そしてこの国の人口も増え続けているし、資源は有限ですから。今から別のエネルギーで賄えるようにしないといけない。自国のために原子力発電を行うことが、そんなに悪いことなのでしょうか?」

テヘランで出会った23歳の青年イーサンは、大学卒業後、エンジニアとして働く将来有望な若者。「いろいろな国の良いところを吸収したい」と旺盛な好奇心を持っている彼にそう言われて、返す言葉が見あたらなかった。日本にとってイランは3本の指に入る重要な原油輸入国。そして、日本は国内に原子炉を50基以上も設置している。彼の言うように、石油は天然資源である以上、いつなくなるかは誰にも明言できないにしても、いつかなくなることだけは確かだ。

「いまイランが海外でどういうイメージを持たれているかは知っています。個人的に言えば、もっと対話をしながら進めて欲しい。でも、核兵器を持ちたいと思っている国民なんていないと思います。ヒロシマ、ナガサキのことは知っていますから」

イランの人たちは基本的に日本に対して好意的な印象を持っている。日本製の電化製品はもちろんのこと、NHKの連続ドラマ『おしん』や『キャプテン翼』『一休さん』が一時期大流行したせいもあるのだろう。けれどそれ以上に、日本に落とされた原爆の歴史が、アメリカの受けた被害から復興した国として、親近感にも似た思いを抱かせているのかもしれない。彼らにとってアメリカは、自国を翻弄し続けた国なのである。


イランとアメリカの国家間の関係は、1979年に「イラン革命」が起こるまでは良好だった。革命以前のイランは、黒いベールを被る宗教国家ではなく、永らく王制による国家だった。中東で初めての石油が発掘された1908年、大国に翻弄されるイランの運命が始まる。イギリスやソ連はその利権を求めて侵略し、互いにイランを二分割した。第二次世界大戦後、イギリスに代わって石油の利権を手にしようとしたアメリカは、イランに武器を輸出して中東随一の軍隊を作り上げることに成功した。そうして密接となった二国の関係は、権力者だけが恩恵を受ける状況を作り、イラン国内では貧富の差が拡大。やがて国民は自国の権力者とアメリカに不満を抱き始め、宗教家の指導のもと、革命へと歴史を動かす。そしてアメリカは、イランとの国交を断絶した。

ようやく革命を成し遂げた翌年。イラクのフセイン政権が国境を越えてイランに攻め入る。この時アメリカは、裏でフセインをけしかけたのではないかという「共謀説」もあるほど、手のひらを返してフセインに武器を提供し加担した。イラン・イラク戦争が8年もの間続くことになったのは、こうした大国の思惑が背景にあったことが大きい。今から歴史を振り返れば、アメリカが自ら巨大化させたフセインを、時を経て自らの手で組み伏せたことになる。イラン人の目には、アメリカは常に石油を巡って利益のある側につく裏切り者として映っている。


そんなイランも今は、人口の60%以上が30歳未満という若者中心の社会。革命も戦争も知らない彼らは、日本と同様、西洋文化への憧れも強い。

「留学するならイギリスかアメリカがいいです。とても自由な国だと思います。でも、自分の国も好きですよ。もしこの国に民主化が必要だとしても、それは僕ら自身がやらなければならないことで、アメリカが入ってきて強制的に行うものじゃない。だから誰がこの国に乗り込んできても、自国のために守ろうと思います。だってここは僕の国だから」

イランの未来を担う17歳のファルム少年。大好きなサッカーチームのユニホームを着て、まだあどけない顔つきながら、彼ははっきりとそう答えてくれた。紀元前にはすでに立派な文明が栄えていたという彼らの根底にあるのは、イスラムの教え以上に「この場所に遥か昔からいる」という、ペルシャ人としての誇りである。「自国を守る」。日本で聞いたときとは全く違った響きで、僕の耳には心地よく届いた。


この滞在中、経済的にもアメリカと完全に断絶しているイランでは、マクドナルドもクレジットカードが使えるお店も見つけることはできなかった。けれど、古代ペルシャの時代から遠方の客をもてなしてきたこの国では、人懐っこく、冗談を言っては日々を楽しく過ごす、そんな豊かな光景を見つけることはたやすかった。テヘランから車で5時間、カスピ海近くにある人口700人の村マスレーにも、そんな素朴な豊かさがあった。

「アメリカ? 私、知ってるよ。この村の人が亡くなった時、アメリカに留学していたその人の息子さんが帰ってきて、アメリカ人の奥さんを連れてきたの。とっても綺麗だった」

村に暮らす一人の女の子に「アメリカについてどう思うか?」と質問をしたら、こちらの思惑をよそにそんな答えが返ってきた。名前はレイホンニ、10歳。ひっそりと佇むこの村で、元気に木の棒を携えて「どこから来たの?」と英語で話しかけてきた。10歳には見えない、とてもおしゃまな女の子。

「あなたは日本人? きっと素晴らしく自然が綺麗なところでしょうね。日本の女性も素敵よ。私? 私は、全然綺麗じゃないわ」


少し拗ねたように、でもいたずらっぽく答える彼女は、スカーフも身につけず、愛らしい笑顔が隠れることはない。「イラク戦争」や「核の問題」など、政治的な質問にはまったく興味がないという表情だったが、「将来の夢は何?」という質問には、目を輝かせて答えた。

「将来は、女優になりたいの。今日のなかで一番素敵な質問ね(笑)」

はしゃぎながらも、彼女は真剣に答えていた。「きっとアメリカにいいイメージは持っていないだろう」。そう思ってした質問は、まさにこちらの勝手な先入観。彼女にとってのアメリカは、この村の息子さんが連れてきた奥さんその人で、大事なことは自分の未来への可能性だった。彼女にはまだ植えつけられたイメージは何もない。いつの時代も大人たちのつまらない理屈によって、子どもの心に何かしらの偏見を作っていく。これからどんな世界を彼女に見せていけるのか。彼女の見ている「世界」は、まだ限りなく無垢で、果てしなく自由だ。


今年の3月、アメリカはNPTに加盟してないインドに対して、特別に核の技術提供を認めた。「例外を作った」と各国からも懸念が出た。アメリカが支援するイスラエルは、核の所有を公然と許されている。核を廃棄する意思を示さぬまま、経済関係が密な国には例外を許し、特定の国にだけ「平和利用」の開発も認めない。

「あの大統領を信用できるのか?騙されたらどうするのか?」と誰かが危惧する。イラン政府が生涯にわたって核兵器を作らないかは、正直僕にも分からない。でもそれは、日本も同じことだ。

大事なことは、国があって国民がいるのではなく、そこに暮らす人々がいて初めて国が存在しているということ。男たちは高らかに車のクラクションを鳴らしながら仕事場に向かい、おじいちゃんはのんびりとチャイを飲む。若者は彩り豊かな色を探してオシャレを楽しみ、カップルたちは手をつないで、子どもは元気に外で遊んでいる。


いったい「悪の枢軸」とは、誰のことを指しているのだろう。この場所を爆撃することで幸せになるのは、いったい誰だろう。この世界を一瞬にして崩壊する核兵器を、いったい誰が本気で望むというのだろう。

「他の国とは仲良くやっていきたいです。どの国も一番大事なのは国民。アメリカ人も、イスラエルの人も、みんなひとりの人間ですから。僕が大統領だったらそうしたいですね(笑)」。ファルム少年のそんな笑顔を思い出す。この国は、日本と変わらぬ日常の中で、人々の笑顔に満ち溢れていた。

これは、地図やメディアからは見えてこなかった、僕に見えたひとつの「世界」。

参考文献

『現代イラン』『イラクとアメリカ』(桜井啓子著/岩波新書)
『中東現代史』(藤村信著/岩波新書)
『「イスラムvs.西欧」の近代』(加藤博著/講談社現代新書)
田中宇の国際ニュース解説

  1. この条約は1968年に調印され、1970年に発効した。「核兵器保有国」以外の国が、核兵器を開発したり製造したり保有したりするのを防ぐ条約。条文には、「1967年1月1日以前に核兵器を製造しかつ爆発させた国」と規定されている