ABOUT

アソボットの「クリエイション」や「コミュニケーションデザイン」に対する考え方。また「ロゴマーク」や「オフィス空間」に込めた想い、設立からの「ヒストリー」など、私たち自身のあり方についてご紹介いたします。

PHILOSOPHY

伝えたいコトを、伝わるカタチに


「伝える」と「伝わる」。日本語では“たった一文字”の違いでしかありませんが、そのふたつは大きく異なります。「伝えているけれど、伝わっていない」。そういうことが世の中にはたくさん存在しています。だからでしょうか、どのように伝えるのかという「伝え方の技法」ばかりに関心が向きがちな気がします。

しかし、コミュニケーションにおける大前提は、「情報の受け手側にイニシアティブがある」ということです。テレビのリモコンを持ってチャンネルを変えるのも、WEBの広告をクリックするのもしないのも、講演会を聞きながら別の考えごとをしているのも、あらゆるコミュニケーションはその相手が主導権を握っています。だからこそ、まずは「伝えたい相手」が誰なのかをしっかりと認識して、その「相手の前提」を理解すること。さらに言えば、「伝わらない理由」を常に把握して「伝わり方」から考えることが大切なのだと思います。

アソボットの仕事は、世の中にあるこのような「伝える」と「伝わる」の間の“隔たり”をいろいろなアイデアで埋めていくことです。たとえば、企業の事業や行政の施策。NPOの活動や市民の想い。若者や高齢者の世代間ギャップ、性差によるジェンダーギャップ。国と国の争い、歴史観や宗教観の相違。そんな誰かの伝えたいコトを、世の中に伝えるべきコトを、伝わるカタチに翻訳していく。「コミュニケーションをデザインする」というのは、そういう仕事なのだと思っています。

伝えるから、伝わるへ。伝えたいコトを、伝わるカタチに。

今日も、明日も、A happy new world with asobot.

SPACE

まちなかに「アイデアが生まれる場」をつくる


2015年4月に現在の場所にオフィスを移転しました。渋谷区神宮前6丁目。渋谷と原宿、表参道のちょうど真ん中あたりの、人通りの絶えない“まちなか”です。もちろん、単に「ワークスペース」ということだけであれば、まちなかである必要はありませんでした。

時にいろいろな人たちとアイデアを「共創するための工房」として

時に街ゆく人たちに向けた実験的な「情報発信のメディア」として

時に世の中を眺めてさまざまな素材を収集する「観測基地」として

アソボットのオフィスは、そんないくつかの顔を持った「アイデアが生まれる場」でありたいと思っています。まちなかの人たちの声を聴き、それを発信するための「デジタルサイネージ」の設置をはじめ、スタジオ内にはアイデアのリソースとなるような書籍資料や、プロトタイピングするためのさまざまな材料や機具、座ったままでも立ったままでも、ひとりでも大勢でも、思いついたらすぐに壁や机のどこにでもアイデアを拡散できるような場づくりを目指しています。

 

HISTORY

2001-2017


「アソボットの事業領域はとても広いですね」。時々、まわりの人たちからそんな風に言っていただくことがあります。メディアの編集やまちづくり、時には防災や平和構築の分野など、たしかに関わっている分野だけ見れば狭くはないのだと思います。一方で、私たち自身はそれほど広いとも思っていません。なぜなら、決して思いつきではじめたことではなく、今日に至るまでには紆余曲折ありながらも、それなりに一貫した「物語」があったからです。そこで、アソボットの設立からのなりたちを、ほんの少しだけですがご紹介できればと思います。


はじまりは、ミンナデ タノシク アソボット

アソボットのはじまりは、2001年。新しい世紀とともにスタートを切りました。最初は、私たちが世の中にあったらいいなと思う「場」を、街の中にひとつずつプロデュースするということからはじまりました。カフェやバー、美容室に雑貨や家具のセレクトショップなど、そこに集う人たちがドキドキしたりワクワクしたり、ひとことで言えば誰もがハッピーになるような、そんな気持ちを世の中に生み出していきたいと思っていました。「ミンナデ タノシク アソボット」。それが社名に込めた設立当時の想いです。

 


最初の転機は2003年、時は「フリーペーパー・ブーム」の前夜。私たちは、とあるメディアを作る機会に恵まれました。それは、「営団地下鉄」が「東京メトロ」へと法人名称を変えるタイミングに合わせて、東京都内の地下鉄の専用ラックで配布されることになったフリーマガジン『metropolitana(メトロポリターナ)』の創刊です。都市生活者の毎日の通勤がもっと豊かになるようにと、販売誌では実現しにくいような特集テーマを企画していきました。発行部数は20万部以上。記事に載ったお店やイベント、試写会に実際に大勢の読者が訪れる。毎号のアンケートにも何千通という単位で返信がくるといった、具体的な反応がしっかりと見える希有な媒体でした。そんな風に毎月毎月本当にたくさんの人たちの手に渡りながら、同雑誌を見た企業の広報の方たちから「自分たちもこんな広報誌を作りたい」との依頼をいただくようになったのです。アソボットのような小さな会社が、多くの企業と直接仕事をさせていただくようになった大きな転機でした。

 


自分たちの想いを伝えるメディア

やがて「誰かのための」メディアだけでなく、「自分たちの想い」を伝えるメディアも作ろうと創刊したのがジャーナル・タブロイド誌『GENERATION TIMES』(2004)です。このメディアを手がけたことが、その後のアソボットを決定づける大きな流れを作りました。それは、私たち自身が「環境問題」「貧困問題」「地域の過疎化」「メディアリテラシー」など、この時代におけるたくさんの「社会イシュー」と出合い、学び、考え続ける機会となったことでした。もちろんメディア制作というのは、「社会イシュー」との出合いだけではなく、「さまざまな人たち」との出会いもあります。そしてその出会いから数々のプロジェクトが誕生していきましたが、代表的なプロジェクトが2つあります。

 


2つのプロジェクトとそこで問われたこと

ひとつは、まちづくりのNPO法人『シブヤ大学』(2006)の設立です。このプロジェクトをはじめたことで、日本全国にネットワークができ、地域活性やコミュニティ関連の相談が来るようになりました。企業だけでなく、行政や自治体からの相談が増えたのもこの頃です。

もうひとつは、『PEACE COMMUNICATION』(2008)という特殊な教育コンテンツの開発です。これを機に、時に国境を越え、国際協力の分野にも関わるようになりました。アソボットのグローバル化という意味ではとても大きなことでしたが、それ以上に重要な変化がありました。それは、平和や紛争といったまったく未知の分野に関わるようになったことで、常に私たちが「何のプロフェッショナルであるのか?」を改めて問われる機会を得たことです。つまり、私たちはこの社会に何ができるのか、という根本的な問いです。

そのような「問い」に答え続けようとしてきた過程が、結果的にこの分野に限らず、企業や行政、NPOなどさまざまな人たちの新しい課題に対して、クリエイティブやコミュニケーションデザインがどのように貢献できるのかを見出すことにつながっていったのだと思います。

 


「恋愛」から「戦争」まで同じテーブルの上に乗せて考える

現在、私たちはいわゆる「デザイン・コンサルティング」という領域で日々仕事をしています。アウトプットが最初から決まっているような仕事はほとんどありません。「伝えているのに、なぜだかうまく伝わらない」。「何かをしたいけど、何をしたらいいのかわからない」。そんな曖昧模糊とした相談からスタートして、最終的なアプトプットがロゴやホームページなどのデザイン制作物になることもあれば、新しい事業をつくったり、NPOなどの組織を立ち上げたりすることがソリューションになることもあります。「デザイン」の意味には、カタチを整える「装飾」だけでなく、カタチのないものを具体化する「設計」の意味もありますが、まさに最近はそのような相談が増えてきているのだと思います。

 

たとえば「恋愛」から「戦争」までを同じテーブルの上に乗せてみる。その2つは一見まったく正反対のイシューであるかのように見えますが、共通項はどちらも「人間の営み方」の問題であるということ。そして「人間」にかかわることである以上、それはコミュニケーションの領域でもありえるはずです。そんな風に思いながら、とりあえず今日までやってきました。これらからどんな物語が続くのか、それは私たちにもまだわかりません。だからまた新たな出会いに期待して、今日も明日も「ミンナデ タノシク アソボット」。