〜戦争の記憶を継ぐ〜
かたりつぎ
沖縄で発行されていた雑誌『momoto』の連載企画「67億人の交差点」で執筆したもの。テーマは、「戦争記憶の継承」です。日本では、戦争体験をした当事者だけが“語り継ぐ”ことをしてきましたが、やがていつか全員がいなくなってしまいます。そのような状況下、世界ではどのように記憶の継承を行なっているのか。戦後65年を迎える2010年に、ポーランドにあるアウシュビッツ・ミュージアムを訪れた時のエッセイです。
広島や沖縄。日本では、戦争体験者たち自ら歴史を語り継ぐ風景があたり前になっている。やがて戦後65年。遠くない未来にその語り部はすべていなくなる。「平和ボケ」とメディアが揶揄する時代のなかで、語り部は焦りを感じ、残される僕らは漠然とした不安を抱きながら、戦争の「当事者性」の価値だけが高まっていく。けれど、これは日本だけの問題ではない。あの戦争を経験した国にとって課せられた共通の課題。そもそも僕らは、戦争の“何”を語り継ごうとしていたか?
文・写真:伊藤剛
東欧の国、ポーランド。その南部、オシフィエンチムという小さな街に歴史的に大きな意味を持つミュージアムがある。『アウシュビッツ・ビルケナウ-ナチス・ドイツの強制・絶滅収容所』。100万人以上のユダヤ人が虐殺された場所だ。当時の建物がそのまま保存され、世界遺産にも登録されているこのミュージアムには、年間120万人ほどの来場者が訪れる。職員数約200名。公式ガイドは230名にものぼる。けれど、年齢制限は70歳。体験者のガイドは一人もいない。ミュージアム館長の年齢も30代。やがて語り部がいなくなる時代に向けた体制をすでに整えつつある。
ここの公式ガイドに、数少ない外国人ガイドとして10年以上も前から働いているのが、中谷剛さん43歳(当時)。体験者でも、当事国ですらない戦後生まれの日本人が、異国の歴史を語り継いでいる。
「世界中でこの歴史書が出版されているので、来場者はよく勉強して来ます。ガイドが戸惑うような質問もあるし、プレッシャーもあります。けれど、ここにいる学者の研究が最も進んでいるという信頼があるから、僕らもまた自信を持って伝えられるんです」
ガイドは誰もがなれるわけではない。まずは面接を経て、半年間の研修を受ける。その後、筆記と口頭の試験、歴史家に対するガイドを行い、ようやく合否の判定となる。採用後も、最新の歴史認識から体験者との対話などいくつもの講習会を受講し、独自のガイド法の開発も求められている。
中谷さんの場合は、体験者にしか話せないことを伝聞調で注意深く語りつつも、外国人ガイドという“少数派の視点”でこの歴史を眺めることを忘れない。ガイドの途中、ふとした拍子に問いかける。
「ナチスの政策を“賛成します”と言う人はいません。けれど“反対する”と声を上げた人も少なかった。この“反対しない”ということが巧みに利用されたのです。皆さんなら声を上げられますか?」
悲劇の歴史を憐れんでいた女性の顔が、瞬時にしてこわばる。続けざまに問う。
「ここで起きたことは日常に潜む“差別”の問題でもあります。人間は一人の異分子なら優しくなれても、それが百人、千人となると排除し始める。不景気になるとそういう異分子から切り捨てます。思いあたることはありませんか?」
明らかに不愉快な態度を示す年輩の男性。外国人労働者をまず先にリストラする日本の現状と重なるからだろうか。遠い異国の、遥か昔の歴史を学んでいたはずが“現在の問題”として提示された時への拒否反応。ここに、戦争を学ぶ目的を見失っている僕らの姿が投影されている。
「来場者から“余計なことを話さないでくれ”と言われることもあります。以前には、ガイドではなく“録音されたテープ”の方法も検討されました」
過去を知る。そのことが目的であれば、テープで事足りるのかもしれない。けれど、ガイドの存在意義は別のところにあるはずだ。彼らは現場で感じた課題や、来場者からの疑問を学者にフィードバックする。それが次の研究へと繋がっていく。体験者の証言。学者の研究。そして、ガイドと来場者。そのすべてが“本来の目的”のために役割を担っている。
そもそも、戦争以外にも「体験者」は存在する。事故や病気がそうだ。飛行機事故からの生還者の話やがん患者の闘病記などは、テレビでも取り上げられベストセラーにもなる。時には涙も流す。けれど、僕らは知っている。体験談をいくら聞いても事故は防げないし、闘病記をどれだけ読んでも病気は治らない。だからこそ、自分が当事者にならぬようにと、事故原因の究明を強く求め、医学の進歩を切に期待する。体験者だけが「当事者」なのではない。
以前のミュージアム館長は、数少ない収容体験者の一人だった。重い歴史を背負って訪れたドイツの若者に対して、彼はこんな言葉を投げかけたという。
「君たちに戦争責任はない。でもそれを繰り返さない責任はある」
語り継ぐ。その言葉は、決して語り部の一方的な行為ではない。“語る人”と“継ぐ人”がいる。その両者の間にあるものは、二度と「いつかの当事者」を作らないという決意。過去ではなく、未来。