〜ボスニア紛争のその後〜

まじりあい

まじりあい 〜ボスニア紛争のその後〜

沖縄で発行されていた雑誌『momoto』の連載企画「67億人の交差点」で執筆したもの。テーマは、「内戦が起きた国の平和」です。“内戦”とは、国家間同士の戦後とは異なり、争った民族同士が同じ領土で暮らしていくこと意味します。ボスニア紛争から戦後15年が経った2010年のボスニアを訪れました。


民族自決。国家間の戦争が少なくなった20世紀後半、自らの民族独立をかけた争いが世界各地で起こっていた。伝統、文化、民族、宗教。自らのルーツへの誇りは尊い。けれど、そのコインの裏側には、時に残虐さが見え隠れする。独自性と排他性。その表と裏の関係は、永遠に変わることがないのだろうか。

文・写真:伊藤剛


緑溢れるキャンパスの小さな教室の中では、10代の学生が勉強に勤しんでいる。授業のテーマは「民主主義と人権」。実に先鋭的な内容の授業を行っているが、そんな先生にも教えられないことがある。

「戦争の歴史に関しては、まだ身近な話題すぎて教えられません」

ここは、ボスニア・ヘルツェゴビナ(以下、ボスニア)の首都サラエボ。1984年の冬季五輪の舞台となった場所だ。開会式は感動的だった。彩り溢れる衣装に身を包み、多様な民族性を世界に向けてアピールした。まさに“平和の祭典”。わずか数年の後に、20万人以上の犠牲者を出す内戦が起きるとは、誰ひとり夢にも思っていなかった。

サラエボ・オリンピック会場は紛争で廃墟と化し、現在は墓地となっている


当時のボスニアは、『ユーゴスラビア連邦』という共同体の一つで、「七つの国境線、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家」といわれるほど複雑に文化が入り組む地域にあった。異なる民族が共存できていたのには理由がある。共通の敵、旧ソビエトの存在だ。外敵から侵略されまいと、強い団結力をもって統一されていた。

ところが、1991年に旧ソビエト崩壊。結び目がほころび始める。スロベニアやクロアチアが独立宣言を行うと、翌92年にボスニアも追随した。しかし「独立」といっても、ボスニアにはムスリム人、クロアチア人、セルビア人と異なる宗教を背景に持つ三つの民族が暮らしている。独立に反対の立場だったセルビア人は、軍を率いて周辺が山に囲まれた首都サラエボを包囲した。その間、4年。山頂から常に狙撃され、電気や水道などの生活インフラは遮断。大量虐殺も繰り返された。『ボスニア戦争』と呼ばれたこの内戦は、最終的にN A T O 軍の介入によって終結する。


あれから15年(2010年当時)。現在も国際社会の監視の下、国政は三つの民族がそれぞれの代表を選出し、居住区も二つに分断されて暮らしている。戦後生まれの子ども達は、すでに中学生。民族分断が前提として育った彼らに、客観的な歴史を教えることは確かに難しい。戦争のころが人生で最も充実した日々だったと語る大人さえ少なくないからだ。

「仲の良かった時代のことは忘れました。二度と戦争が起こらないようにとは思っていません。もし相手が攻めてきたら、いつでも対決する準備はできています」

現在は穏やかに暮らしているサラエボの街には、今でも壁に多くの銃弾の跡が残っている


争いを望んでいるわけではない。ただ、敵と味方がはっきりとした戦時下、敵への憎しみが募る一方で、味方同士の結束は日々強まっていく。物資がなければ助け合い、敵の目を盗んでは電気が消えた地下室に蝋燭を灯し、ギターを片手にみんなで歌った。明日の知れない緊迫感がもたらす結束感。その“非日常”を懐かしむ人が多いのだ。

この国でも“民族融和”を掲げたプロジェクトはいろいろと行われている。けれど、テレビをつければ、一方の民族が相手の旗を燃やした事件が大々的に報道される。民族意識は煽られ、緊張感は増す。国営テレビの記者は語る。

「戦争を予防することは我々の仕事ではない。起こったことを事実として伝えるのが私達の仕事だ」

“内戦”は、いわゆる国家間の戦争とは、根本的に「平和」の定義を異にする。彼らにとっての戦後は、家族や友人を殺した相手と同じ土地で暮らしていく日々のこと。

「自分がどの民族かではなく、どこで暮らしているかのほうが重要。だって、私達には他の選択肢がないから」

30歳前後の若い夫婦は、先日生まれたばかりの子どもを抱きながら、自分達のことを“ボスニア人”だと笑顔で語った。彼らは「ミックス・マリッジ」と呼ばれる民族性を超えて結婚したカップルだ。男性の父親はセルビア人で、母親はムスリム人。女性のルーツもムスリム人とクロアチア人。

「母の両親は、さらに別の国から来た。私にも複雑すぎてわからない(笑)」

自らのアイデンディティを「ボスニア人」だと笑顔で語る民族性を超えて結婚したカップル


一人の人間のルーツを辿る時、親は常に二人で、その両親のそれぞれの親で計4人。そうやって30世代を単純計算すれば、たった一人の祖先で10億人を超えることになる。自国の総人口数はもちろんのこと、さらにさかのぼれば、世界の人口も超えていく。つまり、誰もがどこかで繋がって、交じり合っているということだ。

「この子の世代かもしれないし、その次かもしれない。どれくらいの時間がかかるかわからないけど、いつかは『ボスニア人』というアイデンティティになっていてほしい。そう心から願ってる」


民族とは何か。ルーツとは何だろうか。わかっていることは、手に持つ“ものさし”を変えれば、その境界線は緩やかに、しなやかに変化していくということ。

表は白で、裏が黒。勢いよく宙に投げられたコインは、くるくると交互に色を変えながら、やがて交わり合っては新たな灰色を描き出す。