〜海に浮かぶ島国であるということ〜
三角形を描く日本
初出はGENERATION TIMES vol.8(2007年4月発行)に掲載。「日本らしさとは何か?」を特集テーマにした号で、「島国としての日本」を切り口に、日本の古くからの伝統食「米」「塩」「海苔」が織りなす変わらない姿を伝えてくれる珠玉のエッセイです。
これは、日本最古のおむすび『チマキ状炭化米塊』(弥生時代中期末)。杉谷チャノバタケ遺跡(石川県中能登町鹿島)で1987年に出土したもので、歳月にして2000年前、日本では邪馬台国が出現した頃のものといわれている。
火事か何かにあったのか。炭化しているとはいえ、炊いたか、蒸したか、米粒まで目にすることができる。
文:伊勢華子 写真:鳥巣佑有子
私たちが暮らす日本は、6852の島でできている。そのうち、439の島に人が暮らしている。もちろん、この島というもののなかには、本州をはじめ、北海道、四国、九州、沖縄も含まれる。
現在、市販される日本地図はこれらの大きな島を中心に製作されているため、小さな島のほとんどは載っていない。また載っていたとしても、枠に囲まれて隅の方に描かれている。
けれども、すべての島々が定位置にある視点で日本を捉えてみると、弓のような形ではなく、「三角形」をしていることに気づかされる。すると、日本の国土の約70%は森であるということや、南北約3000kmにわたって亜熱帯から亜寒帯までの気候であるといった陸的な視点のさらに向こうにある、「海とともに成り立っている」という視点をもつことができる。
日本の海はどのくらいの大きさなのだろう。そもそも海は、陸と異なり「公海」(※1)という、どの国にも属さない海域がある。当然、それはこの「三角形」の中にも存在するため、ここでは、日本に経済的な管轄権が与えられた領海(※2)を参考にする。
陸である“国土面積”の大きさが約38万平方kmに対して、海である「排他的経済水域 (※3)」の大きさが約405万平方km。つまり、日本の陸と海の比率は「1:11」にもなる。
これを諸外国と比較して考えると、アメリカを筆頭として、オーストラリア、インドネシア、ニュージーランド、カナダ、ロシア、そして、日本。海の大きさは世界で7番目。日本の陸(国土面積)が世界で53番目であるにもかかわらず、海が7番目ということは、海洋資源に恵まれていることはもちろん、日本がいかに多くの島々によって成り立っているかを示している。
海を進み、島を歩く
鏡のように静かかと思うと、急変、荒れ狂う海。親しい人を隔てたかと思うと、知らない人との縁を結ぶ海。そんな海というものに囲まれた島国で生まれ育つ私たちにとって、海とはどんな存在なのだろう。そんな想いから、日本各地の島を歩きはじめて、一年半になる。
一家族で切り盛りしている島が千葉にあれば、道のない島が鹿児島にある。東京都でありながら、ニューヨークへ行くよりもお金がかかる島もある。人口9人、定期船も廃止されているにもかかわらず、小学校を存続させている島もある。人より牛が多い南の島があれば、人より渡り鳥が多い北の島もある。
私は、東西南北、島々を歩き続けるなかで、思い始めていることがある。それは、「海とはどんな存在なのだろう」ということではなく、そもそも私たちは「海に生きていたのかもしれない」ということだ。海とはどんな存在なのかという発想自体、陸からしか海をみていないのではないかと。
こうして歴史や神話、今も各地に残る地名などに親しんでいくと、太古から海がどれだけ私たちにとって深い結びつきにあったかが感じられて興味深い。
神話については、海にまつわるものが数多く、地名も、古語で『海人族』(※4)を意味する「アジム」の転訛だといわれる地名(安心院、安曇、阿曇、渥美、厚見、厚海、熱海など)が全国に点在している。その散らばりのなかには、海から遠く離れた長野なども含まれ、海人族が担ったものの大きさがうかがえる。食に関しても同様。私たちが普段食べている米もそうである。
日本で本格的に水田稲作が始まったのは弥生時代だが、それまで焼き畑稲作しかなかったこの地に、水田稲作をもたらしたのも海人族だという説もある。航海術、天文学に長けた彼らは、水田稲作の技術を大陸から持ち込むだけにとどまらず、稲が実ってから次にまた稲が実るまでを一年とし、そのサイクルによって年を“稔る”という概念を生みだしたともいわれる。現在でも、伊勢神宮の重要な行事のひとつとして『祈年祭(古くは「としごいのまつり」ともいった)』が毎年2月17日に行われているが、祭名にある「年」は「稲」を意味し、その年の豊穣が祈られている。
島と島をむすぶ
先日、石川県の輪島、その向かいにある舳倉島を歩いたが、このような背景に始まる水田稲作を通して、「かけがえのないもの」に出逢った。
輪島の白米町には、海を見据えるような斜面に千枚田が広がる。ここは日本の名勝でもあるが、大変上質な米が育つことは意外と知られていない。かつて能登半島の一部は海底だったこの地は、土壌がミネラルに富んでいて、炊けば指にすいつくほど艶やかで味わい深い米が実は採れる。また、潮風が吹くことで虫を寄せつけないから、農薬もほとんどいらない。
その向かいの舳倉島に渡れば、暖流と寒流がぶつかるため、海の幸が集まる海水で結晶がピラミッドになるという神秘的な「塩」が作られている。「海苔」については、岩場にできるから養殖の必要もなく、各々が使用する分だけを採っている。「米」「塩」「海苔」を結んだもの。それは、私たちが幼いころから食べてきた「おむすび」である。
向かい合うふたつの島で心揺さぶられたことは、海の恩恵を受けつつも、それだけでは育たない米をすべて手作業で武骨に作り続けている農家。そして、頑なに塩の結晶ができる瞬間にすべてを研ぎ澄ます塩士の姿だ。ふたりは口を揃えていう。「この海があるから今があるんだ」と。
ふたつの島の往来により結ばれた「おむすび」は、私たちが「海に生きていた」証しであり、古今、褪せることなく受け継がれた日本の心があるように思えるのである。
日本を弓の形から「三角形」の視点に変えてみると、改めて、海の深みと、そこから彩られる陸の豊かさを知ることができる。6852の島によって成り立つ国の真ん中はひとつではなく、各々の島にあるのではないだろうか。
海に散らばるこの島々を点とするならば、点の数だけ線を描くことができる。時にその線は幾重にも折り重なる。島の数だけ、関係が生まれ、可能性が秘められているとでもいうように。
日本の最北から最南、最東から最西まで。私たちは海に抱かれ、島に生きている。