世界の“貧しさ”と、
僕らの“貧しさ”の間で
初出はGENERATION TIMES(vol.5)に掲載。2005年12月に国連世界食糧計画(以下、国連WFP)が企画したスタディツアーに同行して現地取材を行いました。あれから20年近くが経ち、2015年にはSDGsも誕生しましたが、「世界の貧困」の状況がどれくらい改善されたのか、改めて考えさせられます。
「3億人の子どもたちが慢性的に飢えている」
「世界では3秒に一人子どもが亡くなっている」
最近、“貧困”に関する話題を耳にしたり、目にする機会が増えた。貧困撲滅を目的とした『ホワイトバンド』も注目を集め、多くの人が腕に白いバンドを身につけて街を歩く一方、その資金運用に関して反対の声をあげる人も多くいた。
貧しい人とはいったい誰のことで、貧困とはいったい何なのだろうか。
文・写真:伊藤剛 取材協力:国連WFP協会
忘れられない光景がある。整備されていない土埃が舞うでこぼこ道。雄大な川沿いには、スラム街が点在していた。反対側には、見渡す限りの巨大なゴミ捨て場。分別されることなく無作為に捨てられたゴミは、薬品や不燃物が化学反応を起こし有毒ガスを発している。大人でも10分といられないような空気の中で、母親と子どもがゴミを漁っている。少しでも明日の糧になるものを探している。その光景を前にして、「可哀そうだ」と当然の感情が沸き起こる。けれど、すべきことが見当たらなくて、思考が停止する。別れ際、子どもたちはカメラの前で大きく手を振っていた…。
2005年12月、バングラデシュを訪れた。1971年にパキスタンから独立して、人口約1億4700万人のうち最貧困層が3000万人近くを占めている世界最貧国の一つ(※1)。独立以来、「NGOのショールーム」と称されるほど、世界中から数々の支援団体が訪れている。
ちなみに、日本は最大の援助国。この国での貧困の特徴は、自然災害によるものが大きい。海抜約9メートルしかない国土は、モンスーン期には洪水や河岸の浸食など、約6割が水没してしまう。昨年のニューオーリンズのように、すべての営みが押し流されてしまうのだ。
ここで、30年以上にもわたって食糧援助を行っているのが『WFP』と呼ばれる国連の食糧援助機関(※2)。災害時の緊急支援はもとより、女性を対象とした自立支援事業や栄養価の高いビスケットを製造する契約工場の監督などを行っている。現在、最も力を入れているのは『学校給食』というプログラム(※3)。栄養が足りない子どもたちに学校で食糧を配布することで、就学率を上げることを目的としている。
日本にとって馴染み深いこの制度は、実は同じ理由で始まった。1889年に山形県の小学校で貧困児童を対象にしたのがその始まり。戦後は、ユニセフ(国連児童基金)からミルクの寄贈を受けたり、アメリカ寄贈の小麦粉により完全給食が開始されるなど、日本も紛れもなく支援を受けなければ成り立たない、貧しい国だった。こうして、僕らの祖先は「学校給食」によって生き残り、僕らもまた“それ”によって大人になった。
貧困の大きな要因として、人口増加が問題として頻繁にあげられる。発展途上国では、子どもの数が多いほうが親の仕事を助ける労働力となる。そして何より、子どもの死亡率が高いため、子孫を残そうと多くの子どもを生み育てようとする。
『村の家族が貧乏なのは子供が多すぎるからだ、と人口問題の専門家は批判する。母親は腹立たしげに12人の子供を小屋の外に並べ、彼に向かって言う。
(『世界の貧困』青土社刊より)』
「この子たちを見てちょうだい。いったい、どの子とどの子がいなければよかったっていうの」
「貧困」とは、いったい何なのだろう。衝撃的な“数字”は、裕福なこの日本では実感が伴わない。耳に心地よい「グローバリゼーション」は、すべての国を一つの経済システムへと組み込む。先進国は融資を行い、途上国は借金を重ね、膨大な債務額を返済するために、安い値段で大量の輸出を強いられる。
「食べるための作物が栽培されているその土地で、人は飢えている」とは、端的に貧困問題を表した皮肉だ。世界はどんどん“富”を蓄えながら、貧困はさらに深刻化していく。物が溢れる先進国では、自殺者が年々増えていく。「もっと多く」を追い求めながら、心の内に虚しさを抱えているのだとしたら、それも貧困の一つの形態か。バングラデシュのある青年の言葉を思い出す。
「“貧困”という以外の言葉はありませんか。僕らは経済的な視点で見れば劣っているけれど、電気や石油を使わず、先進国よりも環境に慎ましく生きている。そういった僕らの“豊かな”側面を見てもらうことはできないですか?」
“貧困”の反対は、決して“富”ではない。“貧しさ”という主観的なものを満たすために、どれくらいのお金が必要なのか、いまだかつて結論を出した人はいないのだ。
給食が支給される小学校に行った。学校に通う子どもたちの目は、想像以上にきらきらと輝いていた。“学ぶ”という環境があることに、自分の未来への可能性を期待しているのだろう。クラス全員で起立をして挨拶。教科書を楽しげに朗読していた。
カメラを持った僕の前では、自分の姿を撮られたことがないのだと言って、我れ先にひっきりなしに写ろうとする。ぜひこの子の思い出にと、母親が赤ん坊を抱きかかえてやって来る。一人ひとりに手渡すことができないにも関わらず、純粋に自分の存在の記憶を願う。写される彼らの手には、支給された数枚のビスケットが、大事そうに握られていた…。
「貧困」とはいったい何なのだろう。ひとつだけ確かなことがあるとすれば、寄付する資金がどうであれ、僕らが“それ”によって大人になったように、彼らが大人になるために援助が必要なのだということ。だとしたら、僕らとは違う“豊かさ”を持った彼らにまず敬意を表したい。できるならば、足りないものを互いに補い合いたい。そしていつか、彼らがもう少し大人になることができた時に、「僕ら」の未来について一緒に語り合ってみたいと思う。
- 1日の摂取カロリーが,1805キロカロリー以下の層。他に何の食糧もないという状況での一般的な食糧配給では、1人1日当たり、2100キロカロリーの食糧が必要とされている
- 正式名称は、World Food Programme(国連世界食糧計画)。国連唯一の食糧援助機関であり、世界最大の人道援助機関。飢餓と貧困の撲滅を使命として1961年に設立。ローマに本部を置き、世界各地に現地事務所を設けている。
- WFPでは、「教育のための栄養プログラム」(学校給食)として、栄養不足に苦しむ極度の食糧不足の地域とダッカのスラム街にある約3780の学校で、約75万人の子どもたちを対象に、栄養強化された75グラムの高カロリービスケットを支給している