Today is your day.

今日も私が生まれる日。

今日も私が生まれる日。 〜Today is your day.〜

初出はGENERATION TIMES vol.7(2006年11月発行)に掲載。「生と死」という壮大な特集テーマの中で、「生命の誕生」を切り口に、フィリピンの小さな集落で助産師として活動していた冨田江里子さんを尋ねました。「新月か満月のときなら出産に立ち会える可能性がありますよ」と言われ、半信半疑でその時期に合わせて取材に行ったドキュメントです。


私たちは等しく、母親から産まれた。約10カ月、その胎内で命が育まれ、この世界に誕生した。でも、その中で私はどんなふうに育まれて、生を受けたその瞬間がどうであったのか、私自身のことなのに、よく知らない。
「好きで産まれてきたわけじゃない」。反抗期、思わず言ったかもしれないせりふ。けれど私たちは、産まれる前から生きていた。そして、自ら選択して産まれてきた。

私が、今日、ここにいるということ。それは、奇跡的で、とても意志的な、私の命の旅でもある。

取材:伊藤剛・吉村未来 文:吉村未来 写真:GENERATION TIMES編集部


遺伝子や人体を形成している物質は解明されているけれど、命の仕組みはいまだ科学では解明できていない。例えば、心臓という物体のコピーを作ることができたとしても、ゼロからそれを作ることは到底できない。46億年という途方もない歴史の中で積み上げられた生命の連鎖の仕組みを、誕生からたった500万年ほどしか経たない人類が解明しようとするなんて、おこがましいことなのかもしれない。60兆と言われる細胞が精巧に組み合わさり、そのすべてが生命を持って、ひとつの体が機能している。ひとりの人間が生きているということは、私たちが思っている以上に遥かに驚異的な出来事だ。


フィリピンの首都マニラから車で約5時間、サンバレス州スービックという地域にある小さな集落。火山噴火で住居を失った被災民の再定住地として開かれた場所を訪れた。この小さな村には、一体どこから湧いて出てくるのかと思うほど、たくさんの子供たちがいた。彼らはそのほとんどが、自然分娩で産まれている。

「途上国へ来ると、まず誰も病院に出産に来ないんです。みんな家で産んでいる。家でのお産は何もしてない。病院よりも不衛生だし、消毒もしない。でも健康に産まれてきて、問題なく元気に育っている。それを知って“私が今まで日本の病院であれこれ処置してきたことって何だったんだろう?”と思いましたね。しかも、自然分娩の方がずっと穏やかに子供が産まれるんです」


6年ほど前から、ここで産院を開いている助産師の冨田江里子さん。1カ月に15~20人近くのお産を自然分娩で手伝っている。診療所にはそれらしい医療器具は何もない。竹で作られたベッドに新聞紙を敷いただけの簡素なものだ。妊婦検診に来る人も少なく、出産予定日を知っている人はほとんどいない。妊娠何カ月目かというのも実に曖昧だ。フィリピンの妊産婦たちは、日本人からすると不安にならないのだろうかと思うほど、医学的には無知だ。でも、彼女たちは自然に身を任せることで、子供が自ら産まれる力と、母親が産み出す力を信じている。

滞在中、ひとりの女性のお産に立ち会うことになった。分娩室に入ると、すでに汗だくになって苦しんでいる初産の18歳の女性の姿があった。私が向けた笑顔に一瞬微笑み返した彼女は、強い力を込めて私の腰に腕を回す。陣痛が始まってから24時間近く、彼女は痛みと闘い続けていた。陣痛促進剤という薬もあるが、ここでは自然に出てくるのを何時間でも待つ。

「一日の潮の満ち引きで、何時くらいに出るっていうのはだいたい分かります。人間、自分ひとりで生きている気がしますけど、いろんな自然の力に影響を受けて生きているんですよ」

月の引力によって起こる潮の満ち引き。海の成分とほとんど変わらない羊水が、その影響を受ける可能性は十分に考えられる。実際、満月と新月の頃に子供は産まれやすい。満潮に向かって生は誕生し、干潮に向かって死に行く。大きな自然のうねりとともに絶え間なく繰り返されている命。そのリズムに母子がうまく乗れたら、きちんと産まれてくる。この夜も、満月に向かう一日前だった。

分娩室に入ってから30分以上経った頃、ついに産婦が私のおなかに顔を埋めて激しく苦しみ出した。そしてようやく、胎児の頭がゆっくりと少しずつ出てきた。へその緒が首に巻きついてゴホゴホと苦しそうに小さな声を上げていた胎児を冨田さんが引っ張り出すと、意外にもスルッと滑り出す。巻きついたへその緒から解放された子供はとても元気そうだった。

驚いたことは、慣れない肺呼吸を始めると同時に、自らの力ですでにもがき始めているということ。一生懸命に手足をくねらせ、口をぱくぱくと、母親のお乳を探している。その姿は、産まれたその瞬間からひとりの「人間」として、確かな意思を持って生きようとしているように見えた。

命が誕生するとき

40年ほど前、日本でも自宅でお産をしていた。家族が手伝い、生活の中に寄り添っていた生命の誕生の瞬間が、戦後、西洋医学が入り近代化の波とともに、いつの間にかとても遠い存在になった。医療が発達していなかった時代には、出産で命を落とす母子も少なくはなかった。それだけお産は体に負担のかかる大変な作業だ。

しかし、もう助からないと思われた胎児が、何の医療処置も施していないのに、みるみる心音が下がる中、か細い力を振り絞って自力で産まれてくることもあるという。医療が死亡率を下げたことは確かだが、それ以上に、胎児は一歩間違えれば死に傾く状況で、奇跡的な力を発揮して産まれてくる。

かつては、胎児は何の感情もなく、ただ羊水に浮いているだけだと思われていた。しかし、胎内でもすでに心が芽生えていることが近年明らかになってきた。「母親のおなかを蹴る」という動作以外にも、指を吸ったり舐めたり、羊水検査の針を避けたりという事例もあり、心地よさや嫌悪感を胎内にいる時からすでに感じ分けていると言われている。

「陣痛は、胎児が“これから出るよ”という自らの合図です。そして、胎児は自ら骨盤の穴に合わせて頭をくるっと回転させ、産まれやすいように体勢を変えて出てくるんです」


産まれることを不安に感じている場合は、頭を骨盤に合わせることを拒むこともあるという。説はいろいろあるが、冨田さんは何度も自然分娩の現場に立ち会う中で、そういう意識を持つようになった。

きっと私たちも胎児だった頃、外の世界や母親の状態を敏感に感じ取り、これからの人生に不安を感じたり、希望を抱いたりしながら、自分が産まれ出る瞬間を待っていたのだろう。見知らぬ世界に産み落とされても、不安を感じる以上にまず「生きよう」とする本能が働く。「自然治癒力」という言葉があるように、私たちの体には、生きようとする力が備わっている。日々、新陳代謝を繰り返し、1500億個ある小腸の細胞は24時間で生まれ変わる。命の生きようとする力によって、毎朝、私たちは産まれている。きっと胎内で感じていた命の営みをもっと感じたくて、「生きる力」が後押しするのかもしれない。

生きようとする力

冨田さんの産院は、お産に関する知識のない妊産婦さんたちを助けたいという思いで開院した。しかしその思い以上に、地域の人たちは医療を求めていた。産院とうたっているにも関わらず、心臓病やガンなど重症の患者も押し寄せてくる。最初こそ荷が重いと感じたに違いないが、今は腹を括って、その生と死と、真摯に向き合っている。そしてここで、人間が生きようとする力の強さを感じ続けることとなる。


「子供に限らず、どんなお年寄りであれ、末期ガンの患者さんであれ、ここの人たちは生きる力自体がとても強い。家族に迷惑かけようがどうしようが、とにかく生きたいんだ、と言う。病気で苦しかったり、すごく貧しくて一日一食しか食べられなかったりする。でも死んだ方がいいって言う人はいないんです。“大切に生きる”っていう意味自体も日本人とは違うかもしれない。なぜ生きているのかってことに格好つけた理屈がないんです。生きていて楽しいから生きている。そこに自分を必要としてくれる人たちがいるから、家族のために私は生きていたいって。今日来た乳ガンの人も余命宣告されてますけど、そんな人でもみんな笑っていますからね。明日死ぬかもしれないことを恐れるよりも、残された時間をいかに楽しく生きるかを考えているんです」

フィリピンの貧しい小さな村では、今にも壊れそうなバラックに暮らし、破れた服を着た子供たちが、心から幸福そうな笑顔で駆け回っていた。その横では、重病の老女が絶えず冗談を言って微笑んでいる。生と死が隣り合わせの場所で、誰もが生きるために生きていた。


たった一個の受精卵から、数十兆の細胞からなる胎児へと成長した私たち。その過程で、魚類、爬虫類、鳥類の形を経て、人の形となる。およそ9億年という年月をかけた生物の進化の過程を、母親の胎内で約10カ月の間に体験してきた。そして自らの意志を持って、私たちは誕生した。

私の知らない、私の命の旅。きっと、この世界に産まれ出たことも、私がここに生きていることも、本当はそれだけで奇跡的で、意志的なこと。産まれた瞬間、自ら生きようとしていたあの頃と変わらぬ気持ちで、死ぬまで生きることを選択し続けていく。それが、今生きている自分に対する、精一杯の誠意なのだと思う。

助産師・冨田江里子さんプロフィール

1967年生まれ。看護師として日本の病院に勤務したのち、青年海外協力隊に参加したのをきっかけに、国際支援活動を始める。NPO法人『IKGS』現地調整員として、97年からフィリピンに滞在。看護師・助産師の資格を生かし、ボランティアで現地の人々のお産の支援を始める。2000年に『マタニティ・クリニック』を設立。また、お産以外でも貧困のために医療を受けられずに困っている病気の人々の医療支援も行っている。書籍に『フィリピンの小さな産院から』(冨田江里子著・石風社)、受賞歴に『第50回 公益財団法人社会貢献支援財団社会貢献賞受賞』(2018)『第15回ヘルシー・ソサエティ賞受賞』(2019)があり、2020年には、小学校外国語科英語教科書「世界で活躍する日本人」として掲載される。