メクルメク、イノチノ冒険
サーモンが
還る場所。
初出はGENERATION TIMES vol.9(2007年10月発行)に掲載。世界のつながり方をテーマにして特集『65億人の交差点』の中で、サーモンの生態系を通して自然界における「生命のつながり」を伝えるエッセイです。
生態系は、あらゆる生物による合作。川で生まれ、海に生き、森を育むサーモン(※1)は、その壮大かつ壮絶な生きようから「生命のつながり」を伝えてくれる。
文:伊勢華子 写真:鳥巣佑有子
木々をかきわけ、アダムスリバーの川岸にたどり着くと、身を弓なりにしならせ跳ね上がる深紅のサーモンに、目が奪われた。
大海原での長旅を終え、生まれ故郷の川に帰って来たのだ。
カナダ・ブリティッシュコロンビア州(BC州)には、サーモンが遡上する川が2000本あるといわれる。なかでも、太平洋から北東へ入り込んだアダムスリバーは、数多くのサーモンが遡上することで名高い(2006年秋は、4年に一度の大遡上、200万匹以上のサーモンが遡上した)。
親知らずに生まれ子知らずに死にゆく
生まれ故郷でもあるアダムスリバーを遡上するサーモンは、バンクーバー空港近くの海から川へ入る。川に入ると一切ものを食べず、約3週間かけて、身に蓄えた栄養のみで、500km(東京・大阪間に相当)の激流に立ち向かう。
産卵床を決めると、オスとメスはつがいになる。メスは、小石に尾を叩きつけるように4000を超える卵を産み落とし、オスは、ほかのオスと戦い抜いてきた末の姿で卵を受精させる。石や砂利に削られた皮は、オス、メスともに無惨なほどぼろぼろだ。
産み落とされた4000の命のなかで、春、無事に孵化することができるのは800匹。野鳥や野獣の餌になったり、天災に遭遇するなど、太平洋に泳ぎでることができるのはそのうちの10匹。また、生まれ故郷の川にこうして帰って来られるのは2匹ともいわれる。
命みなぎる一方で、川を埋め尽くすもの。それは、産卵直後、役割を終えたとでもいうように息絶えたサーモンの亡骸だ。そのおびただしい数のひとつひとつを凝視すれば、どれも腐敗がいちじるしく、鼻先に押し寄せていたものが死の匂いだったことに気づかされる。
親知らずに生まれ、子知らずに死にゆくサーモン。その壮絶なクライマックスともいえる光景に、誰もが息を呑む。
終わらない物語
しかし、物語はここで終わらない。「サーモンが育む、森」の物語へ、誘われるのである。
息絶えたサーモンは、産み落とした自分達の卵を始め、川岸の植物や昆虫の栄養となる。また、白ワシやミンクなど、動物の格好の餌となる。なかでも、身体が大きいうえ、冬眠前の腹ごなしをするブラックベアの食欲は旺盛、餌となるサーモンの消費量も多い。
ブラックベアは、捕らえたサーモンを森へ運んで食べる。食べ残しや糞はそのまま森へ散らばるけれど、これらが木の成長を助ける役割を担うのである(海の栄養を満たした木は、海の栄養を満たさない木よりも二倍半の成長率ともいわれる)。なぜなら、サーモンが海から川へ遡上することで、海由来の栄養素である窒素やリンが森へもたらされるからだ。重力によって万物は海底へと流れ着くけれど、それを集めて再び上流へ栄養を還させるというわけである。
森には、たくさんの雨や風が集まる。健やかな森に抱かれた雨や風は、潤った水となり、川となり、海となる。そして、その海では、サーモンの子供たちが旅をしている。
手をつなぐ、生態系
カナダやアメリカのファーストネーション(先住民族)は、自然界に対するリスペクトからサーモンを神聖な魚として大切にしている。骨やエラ、内臓など、食べない部位は、尊敬の言葉とともに川へ返す。同様、日本のファーストネーションであるアイヌの人々も、サーモンを「カムイチェップ(神の魚)」と呼び、頭からシッポまでのすべてを無駄なく使う。
今日、スーパーに行けば、季節を問わず、一切れ100円という安価でサーモンを購入することができる。これらは、大海原での長旅を終え、いざ遡上しようとするサーモンを海岸で捕らえ、人工孵化工場で採卵させるといった養殖技術の進歩によるところが大きい。それは、日本だけでなく、ノルウェーやチリなど諸外国からの輸入にまで及んでいる。でも、いったいどうなのだろう。
命懸けで、地球の栄養循環を担うサーモンの物語を思うことができるなら、私たちもまた、その循環のなかにいることを思うなら、せめて、サーモンが「自らの力」で生まれ故郷の川を上りきり、「自らで決めた」場所で子どもを生むまで、待つことはできないのだろうか。
サーモンから始まる、生命の循環。
それと手をつなぐ、生態系すべて。
その手を、知らぬまに離してしまうことがないように。
海も森も、風も雨も。
サーモンも、ブラックベアも、人も。