〜海に浮かぶ島国であるということ〜

“環”のなかの日本

“環”のなかの日本
島の岸に立てば、その先に島が見える。琉球孤はそうしてつながっている(座間味島の岸壁にて)

初出はGENERATION TIMES vol.8(2007年4月発行)に掲載。「日本らしさとは何か?」を特集テーマにした号で、「島国としての日本」を切り口に、写真家・石川直樹さんに「海が繋ぐ開かれた列島」について執筆いただいた珠玉のエッセイです。

文・写真:石川直樹

日本列島は海によって孤立していたのではなく、海によって開かれた土地だった。「日本」ではなく、わざわざ「日本列島」と書いたのは、縄文、弥生時代にまで遡って、この島々の連なりについて考えていきたいと思ったからだ。それは、日本列島に日本国が出現したのは奈良時代であって、弥生時代の日本国とか縄文時代の日本国などという概念はあり得ない、という歴史家・網野善彦氏の言説に大きな影響を受けている。

海や川は人々を隔てるものではない。むしろ水上交通は近代以前の世界では、もっとも早く安全な移動手段だった。日本列島の青森以北、九州以南ではそれぞれ北方、南方世界へと大きな門戸を開いていたし、環日本海諸国図を見ると、本州が大陸へ繋がるブリッジのように、そして日本海が巨大な湖にも見えてくる。

青森県の山内丸山遺跡に復元された縄文時代の住居

北方の共通文化圏

日本各地を旅する中で、僕は海が繋ぐ開かれた列島の在り方にたびたび触れてきた。例えば、北海道の小樽に、フゴッペ洞窟や手宮洞窟という古い遺跡が残されている。洞窟内には角を持った人間やカヌーの壁画が残されていた。南東アラスカに生きるトリンギット族の語り部がこの洞窟を訪ね、入り口をシャットアウトして数時間出てこなかったというエピソードをひくまでもなく、いわゆる日本文化というよりは北方民族との関わりを強く意識させる遺跡である。

同じような洞窟壁画は国内を見渡しても他に例がない。ただ、遠くアムール川流域や中国最東部、朝鮮半島北部などの日本海の沿海地域に似たような壁画が確認されており、まだ日本列島に国家が生まれる以前、環日本海に共通の文化圏をもった人々が暮らしていたことを示唆する重要な手がかりとなっている。

北海道、小樽の郊外にあるフゴッペ洞窟には古代カヌーと思われる壁画が残されている


東北にも環日本海の繋がりを示す手がかりは多い。今でもよく耳にする〈みちのく〉という言葉は、漢字で〈道奥〉と書き、後に〈陸奥〉と表記が改められた。字面からも、みちのくが江戸から続く道の奥にあり、本州という陸の奥であるという意味合いが見てとれる。

しかし、それはあくまで江戸という中央からの視点にすぎない。本州最奥の地は、実は多様な世界への入り口でもあったのだ。たとえば、三内丸山遺跡からは黒曜石や琥珀、アスファルトなど、産地が遠方となる遺物が多く出土している。それは、当時の交易が広範にわたっており、津軽海峡を望む本州のどん詰まりが、実際は遠隔地交易の拠点であったことを示している。

この地から発掘された遮光器土偶は、イヌイットが使う雪原での光を弱くするメガネに似ていることからその名が付けられたし、他にも北方の人々の暮らしに入り込んでいた呪術的な要素を伴う遺物も出土している。また、アイヌの熊送りの儀式などは非常によく似た儀礼がシベリアやカムチャッカに今も残されている。こうした関連性をあげるまでもなく、東北から北に連なる北海道、サハリン、カムチャッカ、極東シベリア、アリューシャン列島、北米大陸の北西沿岸部などは、狩猟と漁労の形態、動物を解体するときの作法や儀礼の形、受け継がれる神話などいくつもの共通点が見いだされてきた。

南東アラスカのトリンギット族による儀礼のためのダンス。衣装などはアイヌとの強い文化的なコネクションを感じさせる


青森は三方を海に囲まれている文字通り陸の奥かもしれないが、島々の連なりの一部分として捉え直すと、太平洋と日本海という二つの海が交差する十字路として、四方八方からやってくる多様な人々の通り道であったことがわかってくる。

南方の群島ネットワーク

南の離島の岸辺に立つと、遠くに島影が見える。あの島にはどんな人々が住み、何が待っているんだろう。そうした未知のものへの憧れは、人間にもともと備わった根源的なものだろう。カヌーを手足のように使いこなしていた海人ならば、その先の島を訪ねてみたくならないわけがない。そうした目視できる島の連なりは九州から台湾にいたるまで広範な地域におよんでいる。鹿児島から奄美、沖縄、宮古、八重山、台湾、フィリピンへと続いていく琉球弧と呼ばれる島々は、それぞれが微妙に異なった特性を持ちながらも、ゆるやかなネットワークをもってお互いが反響しあっている。それは単に地理的な意味だけではなく、そこに流れた時間という意味でも上下左右、それはほとんど混沌といってもいいくらい錯綜した個別の繋がりをもっている。

バリ島の祭りで使われるバロンというかぶりもの。獅子舞の原型ともいわれている


そうやってたくさんのモノや人が四方八方から流入し、また流出していく南方の群島を繋ぎとめているものはいったい何だろう。僕はそのヒントを「御嶽」に代表される空無のスペースに見る。「御嶽」は南西諸島に広く分布する聖地の総称であり、鬱蒼とした森のなかに存在するこれといった建造物のない空き地である。そこにはご神体や偶像があるわけではなく、四角い切り石が無造作に置かれているだけだ。各島に大なり小なり存在するそれらの空間によって、人はその場にいながらある種の旅に出ることができる。僕は森の中の「御嶽」のような存在が、それぞれの島と島を繋ぎとめる海のように思えてならない。それは、軽々と海上を飛び越える空路や陸と陸を結ぶ人工の橋ではなく、目には見えない魂の繋がりと言ってもいい。

また沖縄には“サバニ”と呼ばれる木造の舟が今でも現役で使われている。サバニは長さ4mほどの小舟でありながら、その帆走性能は驚くべきものだ。僕も幾度となくサバニに乗せてもらったが、単なる帆かけ舟と呼ぶには忍びないほどの洗練された技術、繊細な操船を要求される。海や風や舟のことを知り尽くした海人たちは、こうしたサバニを駆って九州から沖縄・南西諸島を経由し台湾にかけて広がる多島海地域を古くから縦横に行き来してきた。島の人々は陸を歩くように海を渡っていた。
琉球弧の他にも、多島海は北から南まで日本周辺にいくつも存在している。アリューシャン弧にはじまり、千島弧、東日本弧、西日本弧、伊豆小笠原弧、さらに琉球弧があって、フィリピン弧へと続いていく。それらを俯瞰したときに、はじめて島々の連なりとしての日本列島の姿が浮かび上がり、それがどれだけ開かれた存在であるかを再確認することになるだろう。

「日本は島国だから」といういい方をよく耳にするが、そこには閉ざされた空間であるという若干ネガティブなニュアンスが含まれている。しかし、海に囲まれた島であるからといって、当然だが人もモノもそこにとどまっていたわけではない。環日本海と環太平洋世界の一部として、日本は常に流動し、あらゆる方向へ精神や物質の橋渡しをしてきたのではないだろうか。古代、列島としての日本は、今以上に世界に向かって開かれていた。

今日も島々にはとめどなく波が打ち寄せては消えていく。時にゆるやかに、時に激しく。

写真家・石川直樹さんプロフィール

1977年東京都渋谷区生まれ。東京芸術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。人類学、民俗学などの領域に関心を持ち、辺境から都市まであらゆる場所を旅しながら、作品を発表し続けている。2008年『NEW DIMENSION』(赤々舎)、『POLAR』(リトルモア)により日本写真協会賞新人賞、講談社出版文化賞。2011年『CORONA』(青土社)により土門拳賞。2020年『EVEREST』(CCCメディアハウス)、『まれびと』(小学館)により日本写真協会賞作家賞を受賞した。著書に、開高健ノンフィクション賞を受賞した『最後の冒険家』(集英社)、『地上に星座をつくる』(新潮社)ほか。
http://www.straightree.com/